当会初代理事長のお父様のご葬儀でした

特定非営利活動法人ひろしま点灯虫の会は2001年にNPO法人化しましたが、その前は任意団体のひろしま点灯虫の会として活動をしておりました。

もともと20年前に、広島で全国身体障害者スポーツ大会「おりづる大会ひろしま」が開催された時、広島青年会議所が大会の後夜祭という、障害者とボランティア、市民の交流の場を担当することとなり、その際飲食やステージだけでなく、来広された選手役員、市民との交流手段はないかと考えて、北海道旭川の「夢灯りの会」さんに指導頂いて「夢灯りキャンドル」を後夜祭で200個ほど灯したことが、ピースキャンドルのきっかけになりました。

その時の「後夜祭」実行委員長が、翌年広島青年会議所の理事長になり、丁度原爆ドーム世界遺産になって初めてになる8月6日に「ピースキャンドル」を始めて灯したのです。その前年の8月6日の夜のドームはライトアップもなく、灯篭流しも年々人が少なくなっており、大変寂しい状態でした。

そこで、あの「夢灯りキャンドルをピースキャンドルとして、ドームを取り囲むように灯したら、今のようなさびしい状態ではなく、平和の発信点にできるのではないか?」という思いから灯されました。

ドームにお越しになった方の反応はとても好意的で「来年もやって」という声が多かったことから、この事業を青年会議所が継続するのは難しいので、任意団体を作り、大事に続けて行こうと、ピースキャンドルに関わったメンバーが話し合い、翌年から「任意団体ひろしま点灯虫の会」として、広島青年会議所の支援を行ってまいりました。5年後には完全にひろしま点灯虫の会が完全に引継ぎ、今に至っています。

その間、任意団体ではなかなかご参加される皆さんにはご不便なこともあり、「後夜祭の実行委員長」「広島青年会議所理事長」を務めた仲間が、初代の当会の理事長を務めてくれました。

お蔭さまで、年々参加規模は大きくなりました。参加者の方や関係の皆様のお力の賜物とは思いますが、会としてはあの時、後夜祭の灯りを見て、ドームで灯そう、そして続けようという熱い気持ちを持って頂いた理事長のお蔭で今日があるのだと思っています。

理事長のご尊父さまのご逝去にあたり、ブログにて当初の経緯をご紹介させていただきまして、ご冥福をお祈り申し上げます。 

合掌