約束された未来図

suzukit352007-09-10

就職活動でお目にかかる人だけでなく、最近結構感じることが、「約束された未来の道すじの上を歩む事が幸せ」と思っている人が多いのではないか?ということです。
以前、日経新聞のコラムにあった話ですが記憶が定かではないので、私の勝手な脚色があるかもしれません。それは

今は妊娠すると、男女、あるいは生まれながらのハンディキャップの有無の検査が可能で、生まれる前に男の子が欲しいから、とか女の子が欲しいからという自分の希望に沿った産み分けが(っていうんでしょうか?)可能です。場合によっては希望しない性別なので産まない、という決断も可能といえます。つまり産まれる前に既に祝福されるステージ(ホントは女の子が欲しかったんよ、なんて言われない状況)が出来あがっているのです。未来図があるわけですね。
さて、この子どもが大きくなり中学、高校、大学の受験に出会います。事前に塾等の試験により偏差値が出ます。偏差値によってそれぞれの大学に合格する可能性を判断することが出来るのはご承知の通り。自分の偏差値だったらA大学は合格可能性25%以下なので合格する確率は低い、B大学なら70%なのでB大学を受験しよう…ということになります。つまり受験する前から合格するかどうかの、ある程度の見きわめが出来る事になります。ですから25%以下の合格可能性の大学群ばかり受験するという事はしませんよね。これまた未来図があるわけです。
しか〜し、就活では偏差値はでません。C銀行を受ける場合の合格可能性は〇%なんて出てきませんし、同じ大学の同じゼミの友人で、俺の方が優秀だと思っていても、友人が採用され、自分が落ちるというケースは多分にあります。そのような「約束された未来図」が手元にない、暗中模索、全くの手探り状態の中で就活は行われるのです。
「約束された未来図」が手元にないのは男女間の恋愛も一緒だと思います。女性に声をかけて上手くいく確率が75%とか、ふられる可能性が50%なんていう未来図はどこにもありません。そんな未来図を探しても絶対に見つからないのです。だけど特に両親から「約束された未来図に沿って生きなさい、失敗しないようにしましょう、転んで怪我しない様に…」と育てられると(今はこれが普通かな?)、未来図がないと歩き出せないし、声もかけられないし、また転んだ時の傷つき方が半端ではありません。
人生を歩んでいく中で、約束された未来図なんかない場合の方が圧倒的です。でもわけがわからない中、歩き出し、成功したり、失敗したり、傷ついたりの中で、初めて自分が作り上げられていくのではないでしょうか?
就活も一緒です。歩き出さないければ、自分の良さを伝えなければ始まりません。

写真はシアトルのセーフコフィールド。対エンジェルス戦でしたが、なんとイチローが3三振した試合。約束された未来図がないにピッタリです。